ヘルスケアクラウン

春の訪れとともに長年の夢の一つが叶いました!

今年からラフターリーグ(Laughter League)という団体のヘルスケアクラウンとして小児病棟を訪れることになりました。このような分野があると知った20代の頃からずっとやりたかった仕事なのでとても嬉しいです。

コロナの影響でプログラム開始が延期になっていましたが、この度告知動画が公開されました。少しだけですが出演していますので是非観てみてください。

この瞬間にも紛争や暴力、災害等で厳しい状況で暮らしている方がいることを思うと心が痛みますが、まずは自分の手の届く範囲で自分のできることをしながら、一人でも多くの人に笑顔や安らぎを届けられたらと思っています。

https://fb.watch/bSOI2kHYMI/

初めてのハイブリッドクラス

今朝、初めてハイブリット(対面とオンライン同時進行)のドロップインクラスを教えてきました。始まるまでは緊張したけれど、やってみたら新しいことに挑戦してよかったと思えました。まだまだ改善の余地はあると思うので試行錯誤しながらやっていきます。

今日は久しぶりに第3チャクラに注目してみました。クラスが終わり自分自身もまるで「憑き物が落ちた」ようにすっきりとしていて、特に自分の状態を意識して作ったレッスンプランではなかったのですが、今の自分にも必要なところだったのだと気づきました。

コロナ禍でやりたいことが思うようにできなかったり自分のスキルを活かす場所が限られたりした人は多いと思います。受講者の一人が「この2年間、自分の第3チャクラはずっとインプロ―ドしていた(imploded: エネルギーが内側に向かって収縮していたり不足していたりする状態をルーシッドボディではこう言います)」と言っていましたが、世界中の人が強制的に社会との関わり方を変えざるを得なかったという点で、私達のサバイバルボディにとってもとても大きな出来事だったのだと思います。

演技の世界では俳優の心身を「楽器」と表現することがありますが、サバイバルボディが変化を余儀なくされる中、私たちの楽器も気づかぬうちに思わぬ変化をしているかもしれません。今までのルーティーンがしっくりこなくなったり、これまでとは違ったケアが必要になったりすることもあるかもしれません。時には立ち止まって、自分の心と身体に耳を傾けてみましょう。

来週以降のドロップインもハイブリッドで行います。ということで、世界中どこからでも受講することができるようになりました!(米国東部時間の月曜午前10時から11時半なので日本からの参加はよほど夜型の方でないと厳しそうですが)。特にZoom 参加をご希望の場合は機材の準備があるので前日までにご登録ください。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

昨年は自分のルーツや生き甲斐、これからの人生でやりたいこと等を意識する機会が多い一年でした。9月には一年半ぶりに対面でのドロップインクラスを再開し、10月にはベーシックレベル1を教える機会にも恵まれました。まだまだコロナ禍での制限はありますが、できることを大切に取り組んでいきたいと思います。

もう少し世の中が落ち着いて安全で自由に移動ができるようになったら日本で過ごす時間を増やし、これまで学んできたことを少しずつ社会に還元していきたいと思っています。

NYのルーシッドボディハウスでのドロップインクラスは1/17に再開します。これまでと同様、毎週金曜日の午前10時から11時半までです。

3月にはコンプリート・ベーシック(レベル1&2)を教えることになっています。月・水の午前10時から午後1時、全8回のコースです。やはりルーシッドボディの醍醐味はベーシックのエクササイズにあるので、今からとても楽しみです。

心身ともにセルフケアを心がけて、健康で実りある一年にしましょうね。

またスタジオで会える日を楽しみにしています。

今年もよろしくお願いします。

Examining Clown:collaboratively exploring inclusivity in this art form

この秋、「誰も排除されないこと」をクラウンを通して考える活動に参加します。

ルーシッド・ボディを学び教える中で、多様なバックグラウンドの仲間・受講者と誠実に向き合うことを常に心がけてきました。同時に、それがいかに難しいことであるかも実感しています。最近ではコロナ禍でのアジア系への差別を身近に感じるようになり、この場所での自分の立ち位置と今の自分にできることを模索していました。このタイミングでクラウンとしてこのような意義ある企画に参加できる機会が得られたことを嬉しく思っています。

活動資金を募っています。よろしければご協力をお願いします。

https://www.gofundme.com/f/examining-clown?utm_source=customer&utm_medium=copy_link&utm_campaign=p_cf+share-flow-1 

自分らしさという武器

私が大好きな尊敬するクラウンの一人、Mark Gindickさんの作品です。リンク先のページはドイツ語で短い前振りは英語ですが、パフォーマンス自体は台詞無しなので言語の壁なく楽しめると思います。

https://www.shareyourshow.online/de/shows/marks-first-love?fbclid=IwAR0A7ehYqLrBA34Nq9Vwd2chTNoO9-g5dQ1V4pV8iO6boDcz7rHJkYGPta8

NYに来て間もない頃、彼が所属していたHappy Hourというクラウントリオの作品を小劇場で観たことが、私のクラウンとして、またフィジカルシアターアーティストとしての原点になっています。

当時、私は自分の外見や出自、英語力が「主役」になれるような戯曲は(海外には)ほぼ無いという現実にフラストレーションを感じていました。どんなに努力してもどこを目標にすればいいのかが見えなかったからです。

そんな時に観たHappy Hourの作品は、外見等が「主流」ではないことが逆に強みになるということを教えてくれました。あの時の感動がルコックを勉強すること、クラウンを見つけること、そしてルーシッドボディの講師になることの原動力になったように思います。

5分程度の素晴らしい作品です。是非ご覧ください。

コンテスト応募作品だそうですので、良かったら動画の下にあるハートマーク(Like)をクリックして投票してくださいね。

種を蒔く

演技のクラスで言われたことや日々の生活で経験したことで、その場では腑に落ちないことがあるかもしれません。私はそんな時、また自分がルーシッド・ボディを教える時には毎回、「種を蒔いた」つもりでいます。今すぐには納得できなくても、抵抗を感じていてもいい。無理に答えを出して「理解した」気になって片付けず、心のどこかに問いかけのまま留めておけばいい。そして10年後、20年後、ふとした瞬間に実感を伴った答えがストンと落ちてきてくれればいいな、と思っています。

NYのコンサーバトリーで演技の勉強をしていた時、オーディション対策の先生が言っていました。「当時は全く結果が出なかったオーディションがきっかけで、10年後に仕事が決まることもあるんだよ」と。レッスンやリハーサル、オーディション等、すぐに結果が出ないと挫けてしまう日があるかもしれません。そんな時は「今日もまた一つ種を蒔いた」と思ってみませんか。

ロンドンでルコック系の大学院に通っていた時、授業で一度だけ「Black nose(黒鼻)」のクラウンについて触れました。この学校で教わった他の全てのことと同様に、正解が与えられた訳ではなくオープンクエスチョンとして導入されたと記憶しています。

その時にやった即興が「死」についてでした。クラウンはありとあらゆることに新鮮な驚きと興味を持って向き合いますが、「死にゆく自分」という未だかつてない経験とどのように向き合うだろうか、というものでした。

よく演技では「喜劇では悲劇を、悲劇では喜劇を探せ」と言われますが、「クラウンと死」という課題は当時の私にはとても難しく、掴みどころがないまま終わってしまいました。

あれから時が経ちコロナ禍でClown Jamやライティングのワークショップを取る機会に恵まれて、再びこの課題に向き合っていました。まだ輪郭の曖昧なアイディアがフワッと浮かんできた段階ですが、10年以上前に触れたテーマは今も脈々と私の意識の中で息づいています。蒔かれた種がやっと発芽した、という感じでしょうか。

花が咲くのは10年後かもしれません。実が生るのは20年後かもしれません。焦らず、腐らず、水やりをしたり肥料を与えたりしながら、その日を楽しみに待ちたいと思います。

“Neutral mask is transparent to nature. Red nose is transparent to humanity.”

(ニュートラル・マスクは自然を映し、クラウンの赤鼻は人間性を映す)

LISPA(London International School of Performing Arts)でエイミー・ラッセルという先生がクラウンの授業で言った言葉です。ルーシッド・ボディのフェイ・シンプソンは「Acting training is human training(演技のトレーニングは人間性のトレーニングだ)」とも言っています。私はその逆もまた真なりで、日々の生活で人間性を磨くことが俳優としての成長にもつながると信じています。

例えリハーサルスタジオにいなくても、現場で撮影をしていなくても、「自分は今演技の勉強をしている」という意識で日々を過ごしてみませんか。すぐに芽が出なかったとしても、必ず種は蒔かれています。

自分は何者なのか

先日、ルーシッド・ボディの先生方とのミーティングがありました。ルーシッド・ボディでは安全で公平なクラスを提供することをとても大切にしているので、様々なバックグラウンドを持つ受講生への配慮についてよく話題に上がります。

BLM(Black Lives Matter:黒人の命も大切だ)運動に伴い、よく聞くようになった言葉でBIPOCがあります。Black, Indigenous and People of Color(黒人、先住民、有色人種)を指すものです。

私が最初にPeople of Color(有色人種)やColoredという言葉を耳にしたのはおよそ20年前、大学卒業後に日本語を教えながら演劇の勉強をしたテネシー州の小さな町でのことです。この町は人口のほとんどが山の上にある私立大学の生徒と教職員で構成された(おそらく裕福な)白人を中心としたコミュニティーでした。

大学の履修要綱で「日本語」や「アジア研究」が「Third World Studies(第三世界研究;アジア・アフリカ・南米などの未開発・開発途上国についての研究)」としてくくられていたり「Colored Students(有色人種の学生)」のためのサークルのような団体に勧誘されたりしたことは、大学卒業まで日本で日本人として自分の出自を意識することなく育ってきた私には衝撃的でした。

昔も今も思うのは、白も色の一つなのにこの文脈でColoredという時にWhiteは含まないという暗黙の了解に対する違和感です。何よりも「白、それ以外」というあまりにもざっくりとした分け方に戸惑ったものです。

定義としては私もBIPOCに含まれるのでしょうが、BIPOC 対象のワークショップやイベントに自分が参加してもいいのかどうか判断に困るというのが正直なところです。語弊があるかもしれませんが、米国で生きる黒人や先住民、ヒスパニック系の方々とアジア系移民である私との間には「白人ではない」という共通点以外、同じ目線で人生を経験してきたようには思えないからです。

例えば、私は最近のアジア系へのヘイトクライムに対して不安や恐怖を感じていますが、「これは一時的なものでそのうち無くなるだろう」という楽観的な希望を持っていることも事実です。生まれてから今までずっと差別を受け続けてきた訳ではない(そういうサバイバル・ボディが築かれていない)ため「差別をされない自分」のイメージを持つことが難しくないからです。歴史上ずっと虐げられてきたであろう米国の黒人の方々はこのイメージを持つことが容易にできるでしょうか。私が今感じている「差別されている」という感情や恐怖は、果たして同じ土俵で語れるものなのでしょうか。

最近のアジア系へのヘイトクライム増加に伴い、新たにAAPIという言葉も耳にするようになりました。こちらはAsian American and Pacific Islander(アジア・太平洋諸島系アメリカ人)を指すそうです。

外見から判断すれば私はAAPIの一員なのでしょうが、米国市民権を持っているわけではない(=「アメリカ人」ではない)ので正確には私はここには含まれないことになります。しかしヘイトクライムの犠牲になっているのは「アジア系」であって必ずしも「アジア系アメリカ人」に限らないだろうことは容易に想像できます。

自分は何者なのか、自分で自分のことをどう定義するかというのは、俳優として自分(=自分が与えられたインストルメント)を知るプロセスで避けて通ることはできません。

日本で暮らしていた時、私は自分を「日本人」「女性」「関東出身」と捉えていました。海外で暮らすようになってからは、それよりももっと広く自分は「アジア人」だと意識しています。

人種についての議論がなされる時、自分がBIPOCやAAPIというコミュニティーに属しているという感覚はあまり無く、そのため自分のアイデンティティーが自分以外の誰かに定義されていくような違和感が否めません。けれどもこういう言葉が生まれることに反対という訳ではありません。この国が人種差別やヘイトクライムを無いものとはせず、きちんと向き合って解決していこうという姿勢の表れでもあると思うからです。そういう意味では、このような言葉が生まれてくることに救いを感じたりもします。

「自分は何者なのか」

私はアジア人で、日本人で、俳優です。

そしてそれ以前に、私はあなたと同じ、一人の人間です。

皆さんも今一度、自分は何者なのか自分に問いかけてみませんか。

ジャッジメントとサバイバル

最近、アジア系住民へのヘイトクライムの報道をよく耳にするようになりました。殺伐とした映像が報道されて気が滅入ってしまうこともあります。

ところでクラスではよく「ノン・ジャッジメンタル・マインド」について話をします。そのため「ジャッジメント=悪いこと、やめなければいけないこと」と思われがちですが、被害にあうかもしれないアジア系住民として今ここにいることで、つくづく私達を守ってくれる大切な本能なのだと実感しています。

(ただ、この「ジャッジメント」によって差別が生まれているという側面もあると思うので複雑な気分でもあります)

先日久しぶりに娘を連れて外出したのですが、常に周囲の人や環境を「ジャッジ」している自分に気づきました。

例えば、地下鉄や歩道、公園で。

あからさまな敵意・悪意を感じる人や正気ではなさそうな人が近くにいるかどうかはもちろんですが、もし何かトラブルに巻き込まれた時に助けてくれそうな人はいるか、逃げ道はあるか。もし襲われたら被害を最小限に抑えるにはどうすればいいのか。瞬時に様々なことを考え、判断して最善と思われる行動をしていました。

また、ここでどのような判断をするかは自分の「サバイバル・ボディ」とも直結しています。私は小柄なので、どう考えても力ではかなわないような筋骨隆々とした人がいるとやはり無意識に身構えてしまいます。全くの偏見と言えばそれまでなのですが、私と同じ子連れの人ならば安心だな、とほっとしたりもします。逆の立場で考えたら、こんなご時世では大柄で逞しい人は「自分は脅威ではない」ということを無言のまま周囲にアピールせざるを得ず、肩身の狭い思いをしているのかもしれません。

安心・安全な日常ではさほど明確に意識することはありませんが、私達が生きていく上では常に自分の立ち位置や相手との関係性を「ジャッジ」して行動を選択しています。日々の生活と深く結びついた、切っても切れないものだからこそ「ノン・ジャッジメンタル・マインド」は難しいのです。

そんなことを考えながら歩いているうち、ルーシッド・ボディの概念で自分の反応を分析してみようと思いました。

まず、つねに警戒心を持って行動すること、全身の神経を研ぎ澄ませて危機を察知すること、身を守ること。これはやはり第一チャクラです。

ここで面白いと思ったのは(「面白い」というのは語弊があるかもしれませんが)、実際に自分が襲われたり犯罪の現場を目撃したりした訳ではないということです。つまり「危険が潜んでいる可能性がある」という意識だけでいつもと同じ景色が全く違ったものに見えてきます。

これは「想像の世界で生きる」という演技の本質に通じるものがあると思いました。

また、第六チャクラの「今、アジア系にとってここは危ない」という判断に第一チャクラが反応していると言えるかもしれません。

「実際には危険がないかもしれない場所」でも気を緩めずに生きている今の感覚は、そのようなサバイバル・ボディを持つキャラクターを演じる日が来た時にはきっと役立つのだろうとも思います。外出時に常に警戒心を持って行動するのはとても気疲れしてしまいますが、この感覚が生かせる役を演じる日がきたら儲けものと思って、転んでもただでは起きない精神で頑張ります。

皆さんもくれぐれも気をつけて。早く平和で安心・安全な世の中になりますように。

勇気の練習

気がつけばNY市でステイホーム生活が始まってから1年が過ぎました。あっという間だったような、もうずっとこの生活を続けているような、おかしな気持ちです。

ロックダウンになってから様々なイベントやワークショップがZoomで行われるようになりました。私も最近、クラウンのセッションとソロパフォーマンスを書くワークショップに参加しています。

私は大学院でルコック演劇を勉強したので、創作する時にはまず即興をしてアイディアを忘れないためにメモ書きするというプロセスに慣れているのですが、まず「台本」を書くというところから始めるのは初めての経験です。パンデミックがなかったらこのワークショップが開催されることも私が受講することもなかったのかもと思うと、イレギュラーな生活も新しいことに挑戦する機会が得られたという点では悪いことばかりでもないなと思います。

このライティングの先生はいろいろと面白いことを言ってくれるのですが、その中の一つに「発表の時、率先して手を挙げる度に、私達は勇気の練習をしているんだよ」というのがありました。

コンサーバトリーで演技の勉強をしていた頃、「上手くできるか自信がない」「怖いからやりたくない」時こそ敢えて立ち上がって発表しようと心がけていたことを思い出します。そんな時こそ成長のチャンスであったり、やってみたら意外と上手くいったり、失敗したとしてもそこまで怖くはない、ということを少しずつ学んでいったからです。

私はクラスやワークショップという「安全な」環境でその勇気を出す練習はだいぶしてきたのですが、オーディションや創作したものをフェスティバルに応募したりする勇気には、まだまだたくさんの練習が必要なようです。やはり後者はジャッジされる環境だというのも大きいと思います。

ルーシッド・ボディの大切な基本の一つがノン・ジャッジメンタル・マインドですが、事あるごとに、突き詰めればこれが一番大切で一番難しいのだと実感しています。

子どもが生まれてからアーティストとして発信することからはしばらく遠ざかっていましたが、せっかくコロナで新しいことに気軽に挑戦できる環境が生まれたのだから、これを機に少しずつそちらの勇気も実践していきたいと思っています。

「Acting is easy.」

"Acting is easy. The hard part is becoming an artist -
which means using more than just the comfortable part."
(演じるのは簡単だ。難しいのはアーティストになること、
つまり自分が心地いいままではいられないような部分も使うことだ)
by Michael Howard

 

2003年から2004年までNYマイケル・ハワード・スタジオのコンサーバトリーに通っていました。つい先日、その頃のレッスンノートをみつけて懐かしくなりました。

冒頭は書きとめられていたマイケルの言葉の引用です。今読み返しても心に響きます。

私は、人は誰しも天性の才能などなくても演技はできると信じています。ただ、嘘のない演技をするためには、きちんとしたトレーニングを通して、普段は他人に見せないような、或いは自分でも気づいていなかったような「ドロドロとした」感情や記憶を掘り起こす作業が必要となります。さらにそういったプライベートな部分をキャラクターに投影して公衆の面前で表現しなければなりません。このプロセスに喜びを見出せるか否かという点において、演技をすることの向き不向きはあると思います。

「これから演技の勉強をすればするほど、いかに演技をする必要がないかがわかるはずだ(The more you study acting, the more you’ll understand you don’t need to act.)」

これはコンサーバトリー初日にディレクターだったラリー・シンガーが私達に言った言葉です。当時は深く理解できませんでしたが、演技の勉強をするにつれて「ここから先は何をしても正解」とも言えるような状態があることを知りました。その状態では「役としてその瞬間を生きている」ので、頭で演技をする必要はなく、直感を信じて反応しているだけでいいのです。

演技の勉強とは、とどのつまりは自由に自分をその状態に持っていく術を学ぶこと、人前で「よそいきの自分」以外を見せても大丈夫だという安心感を身につけることだと言えるかもしれません。

演技の世界の扉を開く前に

みなさんには自分なりのWarm-upがありますか。

ルーシッド・ボディのクラスはいつもWarm-upから始まります。これは肉体のみでなく、感情と記憶の準備運動でもあります。ルーシッド・ボディの創始者、フェイ・シンプソンは瞑想の時間と捉えてもいい、と言っています。

演技の基本は相手役や与えられた状況(英語でGiven circumstanceと言います)から投げられたボールをしっかりキャッチすること、それに反応することですが、そこで大切なのが「聴く力」です。そしてリスニングスキルの第一歩は、自分自身の心と身体のメッセージが聴けることです。

身体を動かすことで心がどのように動くか、どんな景色や記憶が浮かんでくるか、自分の内面に耳を澄ませましょう。浮かんできたものをジャッジせずに、声や息にのせて外の世界へとつなげましょう。

私は心と身体と声をつなぐこと、内面と外界をつなげることがWarm-upの役割だと思っています。

ルーシッド・ボディのクラスに限らず、ほとんどの演技クラスは準備運動やルーティーンで始まると思います。その中から自分に一番効果があるものをみつけましょう。立ったままでできるもの、椅子に座ってできるもの等、何が適しているか、何が必要かは人それぞれです。

私にも舞台に上がる前に必ず行う一連のルーティーンがありますが、それはルーシッド・ボディのクラスで行うWarm-upとは違います。大抵の舞台袖ではヨガマットを敷いて動き回ることはできないので、時間や場所の制限があっても自分をベストの状態に持っていけるルーティーンを、今までに受けた様々なクラスから自分なりに組み合わせたものです。

 心と身体のメッセージが聴けていますか。

 そのメッセージと呼吸・声が一致していますか。

 自分の内面と外界がつながっていますか。

私の演技の師の一人、マイケル・ハワードはよく「自分なりの演技メソッドをみつけなさい」と言っていました。ルーシッド・ボディを含め様々なトレーニングを受ける中で、みなさんが自分の「インストルメント(楽器)」をベストな状態に持っていくことができるルーティーンをみつけられることを願っています。

「新しい日常」へ

COVID-19パンデミックの影響で在宅生活が始まってから10ヶ月以上経ちました。最初は戸惑いがあったものの、最近ではこの生活が「日常」となりつつあるように思います。

ルーシッド・ボディではチャクラの概念をキャラクター分析や人間の行動理解に使いますが、チャクラは第一チャクラから順に発達していくと言われています。自分自身のステイホーム生活への適応もこの順序で起きたような気がします。

最初に第一チャクラ、生存本能と向き合う期間がありました。自分や家族・友人が感染し命を落とすことへの恐怖、今までの生活の基盤が大きく揺らいだことに対する戸惑い、物流が滞り食料や生活必需品の入手が難しくなるのではないかという不安。マスクやトイレットペーパーの買い占めが起きたのもこの頃かと思います。NY市では必要とする人のために市内各所で食料の無料提供が始まりました。いくらお金があっても物流が途絶えて店舗から商品が消えてしまえば、私達の日常は大きく揺らぐことになります。毎日何を食べるか自分で選べるという「当たり前の」幸せに気づいたことを覚えています。

どうやら生命に差し迫った危機はない、と第一チャクラが納得した頃には人とのつながりを求める第二チャクラの揺らぎがありました。対面でのクラスがキャンセルとなり、同居する家族以外とは会わない生活が続くと「人恋しさ」に悩まされるようになりました。Zoom飲み会という言葉を聞くようになったのもこの頃かと思います。

次に第三チャクラの承認欲求が叫び始めました。自分は何のために生きているのか、何をしてきた人間なのか。そういったアイデンティティの揺らぎもここにつながっています。第三チャクラは決断・行動のチャクラとも言われています。この状況下でもできることはないのか。仕事がしたい、必要とされたい、舞台に立ちたい。「オンラインでの活動に切り替えた人もいるのに私はまだ何もしていない」― 他人との比較やジャッジメントが顔を出し始めたのもこの頃です。

ここから先、どのような紆余曲折を経て「新しい生活様式」への適応が進んで行くのか。まだまだ不透明なことが多い状況ですが、無駄なことなど何もない、全てが演技の糧となるのだと自分に言い聞かせ、「Be in the moment(今のこの瞬間を生きる)」という演技の鉄則を実生活にも応用して生きていきたいと思います。

ワークショップ等の予定がないためしばらくWebsiteやFBを更新せずにいましたが、今後はルーシッド・ボディについて、演技について、日々の生活の中で感じたことを折に触れて綴っていこうと思っています。よろしくお願いします。

セルフケア

俳優の三浦春馬さんが亡くなったというニュースに衝撃を受けています。まだ若く将来のある方がこのような形で突然いなくなってしまったことは本当に信じがたく、やるせない気持ちでいっぱいです。全く面識のない私ですらこんな気持ちになるのですから、ご家族やご友人、実際にお仕事をご一緒した方々のご心痛は如何ばかりかと思います。三浦さんのご冥福をお祈り申し上げるとともに、今回の悲報で心を痛めている方々が適切なグリーフケアを十分に受けられるよう願ってやみません。

正確な詳しい状況はご本人にしか分かりませんので、ここから先は三浦さんご自身のことには限りません。

芸能に携わる方の自死や鬱、依存症を始めとしたメンタルヘルスの報に触れる度、セルフケアの大切さを痛感します。俳優は通常の社会生活では滅多に他人に見せないであろう感情を演技として人前で表現する仕事です。

演技を勉強した方であれば「インストルメント(楽器)」という言葉を耳にしたことがあるかと思います。ミュージシャンにとって楽器の手入れをするのが大切なように、俳優にとってのインストルメントである自らの心身のケアは欠かせません。

クールダウンの大切さを知りましょう。「役に入る」ことだけに重きをおくのではなく、「役から抜ける」ことも同じように訓練しましょう。

演技の世界から安全に日常生活に戻ってくる術を身につけることは、演技の質を落とすことにはなりません。むしろその逆で、役から抜ける訓練は役により深く入る助けになると言われています。*

* [“The Biology of Acting: Lucid Body Unmasked”(Fay Simpson)及び “Too Hot Not to Cool Down”(Jonathan Mandell)より]

信頼できる命綱をつけずにバンジージャンプをする人はいませんよね。私達の身体は私達を全力で守ろうとしますから(少なくとも私はそう信じています)、安全に戻ってこれる保証がないのであれば感情の深いところには行かせてくれません。演技の世界で「より深く、遠くまで、自由に飛べる」ように、日頃から意識して演技の後は役から抜けて日常に戻ってくるためのクールダウンを習慣としましょう。

ほんの数秒でもいいのです。グラビティ・ラインを意識して呼吸を整えましょう。心身のバランスを自分のものに戻して、安全な地に足が着いていることを確認しましょう。演技の世界で経験したことは自分の日常生活とは切り離されたものだと自覚しましょう。

NYの大学院で演技の勉強をした先生は、初日のオリエンテーションでスタッフの一員としてセラピストの紹介があったと言います。自分の心身をインストルメントとして使っていく職業だからこそ、セルフケアは大切です。

文化の違いから難しいかもしれませんが、自分だけで解決できない時はメンタルヘルスの専門家に助けを求めましょう。必要なケアを受けることは決して恥ずかしいことではありません。自分が弱いからでもありません。大切なことです。

この世に生まれてきた瞬間から私たちの命は私達だけのものではありません。私達が突然いなくなってしまったら心を痛める人はたくさんいます。大切な友人が失敗したり躓いたりした時にかけるような思いやりや気遣いを、自分自身にもかけてあげましょう。

同じ時代に生まれた者同士、思いやりを持って生きていきましょう。

私は今までに出会った皆さん、これからお会いする皆さんに、俳優という素晴らしい職業を、いつまでも心身共に健康で続けていってほしい。与えられた寿命を幸せに全うしてほしい。心からそう思います。

俳優のためのムーブメント講師として、本当に微力ですが、そのお手伝いができるようなクラスを心がけていきたいと思っています。

改めて、三浦春馬さんのご冥福をお祈り申し上げます。どうか苦しみから解放され、安らかな眠りにつけますように。

ロックダウン開始から2ヶ月が過ぎました。

ロックダウン中のNY市でステイホームが始まってから9週間。最初は意外とストレスフリーに過ごせてましたが、最近はさすがに結構しんどいです。

数日前、しばらく休業中だったレストランの多くで「Yes, we are open.」(テイクアウトとデリバリーのみですが)と貼りだしてあるのを見て、涙ぐんでしまいました。いろいろ困難はあってもまだ街は死んでいない、と励まされた気分です。こんなNYのたくましさが大好きです。

最近、リハーサルやパフォーマンスをしている夢やクラスを教えている夢をよく見ます。人との対面での関わりが当たり前だった時間が恋しいです。

そんな中、毎日好きなアーティストのライブ映像を観たり音楽を聴いたりして生きる力をもらっています。一方、満員の観客席を見て切なくなったりもします。何の心配もせずまた心から音楽や演劇を楽しめる日が一日も早く戻ってくることを願ってやみません。

先日、ルーシッド・ボディの指導者間でオンラインミーティングがありました。そこである先生が言っていたのですが、アーティストの使命は、この経験を次の世代に伝えていくことだから、表現の場が失われてくじけそうになるかもしれないが、今感じていることを記憶・記録しておきなさいと。(NYにある演劇の大学院の卒業式辞で聞いたそうです)

その言葉を胸に、一日一日を過ごしています。

皆さんもくれぐれも気をつけて。
また元気に会いましょう。

パンデミックの中、アーティストであり続けること

NYで不要不急の外出が禁止されてから1ヶ月以上が過ぎました。現時点では少なくとも来月半ばまでは延長されることが決まっています。

最近は自宅に籠りながら、アーティストの役割についてよく考えます。

イギリスの大学院にいたとき、創作活動のための助成金申請のクラスで言われました。

 「目の前に飢えた子どもとアーティストがいたら、限られた資金は子どもを食べさせるために使われます。

 助成金を申請するときは、それでもなお自分の活動が社会のために必要だということを説明しなくてはなりません」

このことに関して、私の中ではまだ答えが出せていません。おそらく一生考え続けていくのだろうな、と思います。

NYでは早い段階から劇場が閉鎖され、多くのアーティストの仕事がキャンセルになりました。

人命を守るため、それは必然なことです。今は全員で協力して少しでも感染拡大リスクを減らし、医療従事者や生活に必要不可欠な業務に従事するエッセンシャルワーカーへの負担を軽くすることが何よりも大事だからです。

ただ、私は芸術活動は「不急」であっても「不要」だとは決して思いません。

ずっと自宅に籠っていて正直しんどくなることもありますが、そんな時は好きなアーティストの音楽に励まされています。身体の安全・健康が確保された後には、生活を彩るための芸術・娯楽は人間にとって必要不可欠なものだと実感しています。

表現の場が失われ、いつ終息するかもわからず、先の見えない不安で閉塞感に苛まれているアーティストの方もいるかもしれません。私もそんな気分に押しつぶされそうになることもあります。

ただ、いつか社会が芸術・娯楽を楽しめる状況に戻り、私たちが必要とされるようになった時にはすぐに役に立てるよう、今は充電期間と考え、努めて自分の心身をケアしながら過ごしています。

大変な状況ですが、皆さんはどう過ごしていますか。

未来に役立てるよう、希望をつないでいきましょうね。

ルーシッド・ボディのWarm-up

ルーシッド・ボディの創始者、フェイ・シンプソンが米国東部時間で木曜の午前9時から、Zoom というオンライン会議システムを使ってWarm-upを指導してくれています。無料です。

(英語のみでの指導となります)

次回は来週木曜日、3/26 米国東部の午前9時(EST)からです。
https://zoom.us/j/604328530
Meeting ID: 604 328 530

*参加する場合は自分の側の音声をミュートにするのをお忘れなく。

NYでは新型コロナウィルス対策で劇場・学校・レストラン等の閉鎖に伴い、多くの人が自宅待機を余儀なくされています。たくさんの仕事がキャンセルになり、ほとんど外にも出られない状況で鬱々とした気分が蔓延しているように感じます。

1週間に一度でも、自分自身、そして各地の仲間とつながる時間を持つことが助けになるように願っています。

【更新】3月中のドロップインクラスはキャンセルとなりました

2日前に「予定通り」と書いたばかりですが、3月中の残りのドロップインクラスは全てキャンセルとなりました。4月以降の予定については決定次第お知らせします。

ここNYでも毎日、刻々と状況が変化しています。先行きが見えずに気が滅入ったり不安になったりすることも多々ありますが、心身の健康を最優先にする日々を積み重ねていって乗り切りましょう。

ルーシッド・ボディを受講したことがある方は、「グラビティ・ライン」を意識して「オーディブル・エクスヘール」をすることで少しは気持ちが落ち着いてリセットできるかもしれませんよ。コロナ疲れを感じたら試してみてください。

早く終息して平穏な日常が戻りますように。

新型コロナウィルスの流行

新型コロナウィルスの流行が続いていますが、現時点ではルーシッド・ボディ・ハウスで予定のクラスに変更はなく、私は毎週金曜日のドロップインクラスを担当しています。

クラスでは当面の間、手を触れる指導やエクササイズは行わないことになりました。授業の最後のクロージング・サークルも手をつながずに行います。また、自分のヨガマットを持参することが推奨されていますが、スタジオの共用のものを使う場合は使用前後にワイプ等で拭き取るようにしてください。クラス前後に石鹸で手を洗うのも忘れずに。

世界各地で買い占めや株価の変動等、様々な影響が出ています。海外で生活する日本人(アジア人)として、私自身も差別を受けたと感じることもあります。アメリカでは銃や弾薬の売り上げが伸びたというニュースも目にしました(物資の争奪になった場合に備えて、とのことです)。

ルーシッド・ボディを学んだことがある人は、こんな時だからこそ自分自身の反応に目を向けてみましょう。

ルーシッド・ボディの一回目のクラスでは「サバイバル・ボディ」について話をしますが、皆さんの防衛本能はどのように反応していますか。私は今回のような未知のウィルスの世界的な流行は、第一チャクラ(生存本能)へのチャレンジだと思っています。自らの健康や衣食住への平穏が侵された(と感じた)時に、自分や家族を守るために生活必需品を買い占める人もいれば、他人との接触を避けて引きこもる人もいます。「闘争」に備えて武器を準備する人もいます。

こういった反応は、今までの人生経験において「役に立った」り、文化的に「相応しいとされた」りした等、私たちの「サバイバル・ボディ」が蓄積してきた知恵や成功体験に基づいているものだと思います。

自分の感情、判断、行動は「過去の成功体験」に基づいて癖となった無意識の反応でしょうか。それとも、「今、この瞬間」に選ぶことができる最善のものでしょうか。

いろいろと不安の尽きない状況ですが、一日に5分でもいいので立ち止まって自分自身を見つめる時間を持つように心がけましょう。そこで得られる気づきは、自分の「インストルメント」を知るための大切な情報になります。

そして、こんな時だからこそ自分自身に対しても、他人に対しても、「ノン・ジャッジメンタル・マインド」を忘れずに。

早く事態が落ち着くことを祈っています。

映像演技の中のルーシッド・ボディ:ショートフィルム『Sticks & Stones』

受講者から「ルーシッド・ボディをどのように演技に使っていくのか」と質問されることがありますが、是非この作品を参考にしてください。ルーシッド・ボディを通して知り合った友人でありコラボレーターのRoss Barronによる4分ほどのショートフィルムです。
https://www.youtube.com/watch… 

ベトナム戦争に徴兵されることになった若者が、夜中にアルコール依存の母親を置いて旅立つ際の弟とのシーンです。全編英語ですが、たとえ言葉がわからなくても心に響くものがあると思います。

私はこの夏に日本のワークショップでもやった「スリーキャラクター」(レベル1)を応用しているのだと思ったのですが、本人曰く「プッシュ・プル」(レベル2)からアイディアが生まれて創作されたそうです。トレーニングで培ったものが上手く融合されていてとても力強い作品になっています。

このようにルーシッド・ボディには素晴らしいエクササイズがたくさんあります。ベーシックコースの最初の数日はとにかく自分の持つ「インストルメント(身体)」を知り、チャクラを個別に体験していくことを重点的に行うので、このトレーニングがどこに向かうのか、「リアルな」演技に辿り着けないのではないかと不安になるかもしれません。

心配しないでください。

レベル1の後半からは徐々に前半で学んだツールをキャラクター作りに応用していく術を学びます。レベル2ではさらにアーキタイプを使った役作りやシーンスタディへの導入となるパートナーとの関係性等について学んでいきます。

世の中には様々な演技トレーニングがありますが、出発点が頭であっても身体であっても、最終的に目指すのはリアルな人間の心の機微を演じることです。表現しているものが俳優にとって真実であればあるほど、観る人の心に響くからです。

12月のワークショップではスリーキャラクターも教える予定です。レベル1を受講した人が増えてきたらレベル2も開講できるようになります。日本の俳優の皆さんと全てのカリキュラムをシェアできる日がくるのを楽しみにしています。

12月のワークショップの詳細は以下をご覧ください。
https://www.lucidbodyjapan.com/in-nyc-japanese

持続可能な演技 - 心の曲芸師

今日のドロップインクラスでは第4チャクラ(ハート)に注目しました。第4チャクラを取り上げたクラスを締めくくるサークルは、いつもよりも少しだけ温かい空気が流れる気がします。

最後のディスカッションでも話をしましたが、研修の課題図書の中に「An Acrobat of the Heart (Stephen Wangh 著)」という本がありました。俳優の仕事、演技をすることというのは心(ハート)にアクロバティック(曲芸)をさせるようなものという比喩は言い得て妙で大好きです。

アクロバットが曲芸をこなした後に怪我一つなく無事に着地するように、架空の世界で様々な感情を大きな振れ幅で表現した後に安全に日常生活に戻り、それを何度でも自在に繰り返すことができるのは俳優の大切なスキルの一つだと、私は信じています。

ルーシッド・ボディを通して伝えたいことはたくさんあるのですが、「持続可能な演技」もその一つです。自分の心を怪我させずに己の深い「真実」をさらけ出せる、息の長い幸せな俳優になりましょう。

来週のドロップインも担当します(英語ですが)。
90分のドロップインクラスではコンセプトの紹介、準備運動をした後に一つのチャクラを取り上げてみたり、チャクラを使ったキャラクター作りを「垣間見て」みたりします。
(内容はその日の人数や顔ぶれを見て決めます)

年末の日本語ワークショップも募集中です。
https://www.lucidbodyjapan.com/in-nyc-japanese 
是非奮ってご応募ください。
ご友人、お知り合いへのシェアもお願いします!