種を蒔く

演技のクラスで言われたことや日々の生活で経験したことで、その場では腑に落ちないことがあるかもしれません。私はそんな時、また自分がルーシッド・ボディを教える時には毎回、「種を蒔いた」つもりでいます。今すぐには納得できなくても、抵抗を感じていてもいい。無理に答えを出して「理解した」気になって片付けず、心のどこかに問いかけのまま留めておけばいい。そして10年後、20年後、ふとした瞬間に実感を伴った答えがストンと落ちてきてくれればいいな、と思っています。

NYのコンサーバトリーで演技の勉強をしていた時、オーディション対策の先生が言っていました。「当時は全く結果が出なかったオーディションがきっかけで、10年後に仕事が決まることもあるんだよ」と。レッスンやリハーサル、オーディション等、すぐに結果が出ないと挫けてしまう日があるかもしれません。そんな時は「今日もまた一つ種を蒔いた」と思ってみませんか。

ロンドンでルコック系の大学院に通っていた時、授業で一度だけ「Black nose(黒鼻)」のクラウンについて触れました。この学校で教わった他の全てのことと同様に、正解が与えられた訳ではなくオープンクエスチョンとして導入されたと記憶しています。

その時にやった即興が「死」についてでした。クラウンはありとあらゆることに新鮮な驚きと興味を持って向き合いますが、「死にゆく自分」という未だかつてない経験とどのように向き合うだろうか、というものでした。

よく演技では「喜劇では悲劇を、悲劇では喜劇を探せ」と言われますが、「クラウンと死」という課題は当時の私にはとても難しく、掴みどころがないまま終わってしまいました。

あれから時が経ちコロナ禍でClown Jamやライティングのワークショップを取る機会に恵まれて、再びこの課題に向き合っていました。まだ輪郭の曖昧なアイディアがフワッと浮かんできた段階ですが、10年以上前に触れたテーマは今も脈々と私の意識の中で息づいています。蒔かれた種がやっと発芽した、という感じでしょうか。

花が咲くのは10年後かもしれません。実が生るのは20年後かもしれません。焦らず、腐らず、水やりをしたり肥料を与えたりしながら、その日を楽しみに待ちたいと思います。

“Neutral mask is transparent to nature. Red nose is transparent to humanity.”

(ニュートラル・マスクは自然を映し、クラウンの赤鼻は人間性を映す)

LISPA(London International School of Performing Arts)でエイミー・ラッセルという先生がクラウンの授業で言った言葉です。ルーシッド・ボディのフェイ・シンプソンは「Acting training is human training(演技のトレーニングは人間性のトレーニングだ)」とも言っています。私はその逆もまた真なりで、日々の生活で人間性を磨くことが俳優としての成長にもつながると信じています。

例えリハーサルスタジオにいなくても、現場で撮影をしていなくても、「自分は今演技の勉強をしている」という意識で日々を過ごしてみませんか。すぐに芽が出なかったとしても、必ず種は蒔かれています。